2014年9月21日日曜日

バッハへの道

 

~無伴奏チェロ組曲研究の方法論~


1824年のパリ初版譜以来、この曲の出版譜はすべて、バッハ以外の人々による筆写譜に基づいている。あるいはそうして作られた先行する出版譜に基づいて作られている。

しかし旧バッハ全集版(1879年)、ハウスマン版(1898年)、ヴェンツィンガー版(1950年)、マルケヴィッチ版(1964年)、2000年以降の出版譜などの例外はあるが、ほとんどは上記の資料を十分に駆使して作成されていない。しかし資料を十分に駆使していても、習慣や伝統、先行する出版譜の権威などにとらわれて、正しい音を見逃してしまっていた。

究極的にはバッハの自筆譜が見つからない限り、すべての正しい音を知ることはできないだろうが、少なくとも4つの筆写譜に共通する音は、当然のことながらそれが正しい、つまりバッハ自身が書いた音、と考えるよりほか無いだろう(ただしバッハ自身のミスと考えられるものは別である)。それにもかかわらず、この原則が守られていないと言うと、驚かれる方も多いだろう。

それらの音としては、第1番プレリュードの重弦第4番アルマンドのA♭第5番アルマンドのG音第6番プレリュードのG音などがあげられる。

(追記
ものの見事に、2016年の新バッハ全集改訂版でも、上記の箇所のうち。第4番アルマンドのA♭を除く3ヶ所で、従来のミスを受け継いでしまった)

資料によって異なる音は、もちろん慎重に扱う必要がある。まず当たり前のことだが、多数決によって決めてはならない。もちろんそのようにして音を決定している校訂者はいないだろうが、どうしても人情で多いほうに傾き勝ちである。

特にC資料、D資料と呼ばれる18世紀後半(つまりバッハの死後)の筆写譜はアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMBと略)の筆写譜の子孫であり、AMBとC、D資料が同じでケルナーの筆写譜だけが異なるとしても、AMB側が正しいと言うことにはならない。

そのような例としては第2番のアルマンドのA音の欠落、第4番プレリュードの「早すぎたフラット」第6番ジーグのイ長調の部分などがあげられる。

反対に、ケルナーとC、D資料が同じでAMBだけが異なる場合、特別注意を払う必要がある。第2番のサラバンドやジーグのように、おそらくAMBの筆写ミスと考えられる場合もあるが、第1番ジーグの「半小節」のように、後からバッハが加筆、改訂した可能性があるものもあるからである。

それから、第5番にはバッハ自身がリュート用に編曲した自筆譜が残っている。ところが、編曲ものとは言えバッハの自筆譜が残っている貴重な組曲であるのに、驚くことにこの自筆譜が十分に活用されていないのだ。特にケルナーとリュート編曲が同じで、AMB(及びC、D資料)が異なるなら、ケルナー側が正しいと考えてよいだろう。例としてはアルマンドのリズムがある。


いずれにせよ、各資料の系統は正確に把握する必要があり、どこで誰が筆写ミスをしたか、あるいはバッハによる加筆、改訂があったかを考えなければならない。それなしに資料を平面的に並べて、思い付きでミスだの何だのと言っても始まらないのである。下の図は現在ぼくが考えている各資料の系統図である。


何より重要なのは、上にも書いたが、C・D資料がAMBの子孫であることである。第2に、おそらくケルナーはバッハの草稿から、AMBはバッハの自筆清書楽譜から筆写したであろうこと。第3に、ケルナーとC・D資料が一致している(つまりAMBだけが異なっている)場合、I 資料(これはぼくの仮説による)と、さらにG資料を通してC・D資料に伝わった可能性があること、である。

ついでながら、2000年の新ベーレンライター原典版に掲載されている系統図をご覧いただきたい。このような貧弱でしかも間違った系統図が、一般的には今でも信じられている。



先ほども言ったように、究極的にはバッハの自筆譜が見つからない限り、決定できない音がいくつかあるのは事実である。またここでは無視したが、スラーの決定という難しい問題も残されている。しかし2000年のバッハ・イヤーに出版された、新ベーレンライター原典版で各資料が一般人にも入手可能となり、さらに現在ではバッハ・デジタルやIMSLPなどで、最新の美しいカラー版ファクシミリによる資料を自宅にいながら利用できる時代になった。

チェリストに限らずこの曲に関心を持つ人は、先人の偏見にとらわれずにこの曲を研究できるようになったのである。偏見や習慣、思いつきや思い込みにとらわれた校訂報告など見ても無駄である。どうかご自分の目で確かめて下さい。

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2014年9月17日水曜日

なぜ誰も重弦で弾かないのか


~無視された重弦~


これはバッハ「無伴奏チェロ組曲」における最大の謎である。なぜドッツァウアー以来200年近くもの間、誰もこれに気が付かなかったのか?

それは無伴奏チェロ組曲の顔とも言うべき、第1組曲のプレリュードの第33小節3拍目から第36小節第2拍目までのaの音に関することである。

4つの筆写譜すべてがそれらをAの開放弦とD弦上のa音のユニゾン、つまり重弦で弾くべきであることを示している。 なぜならそれらのa音にはすべて二重符尾、つまり上下に2つの符尾(ぼう)が書かれているからである。

 ケルナー:


アンナ・マグダレーナ・バッハ:


 C資料:


 D資料:


ところが1826年にドッツァウアーがブライトコプフ社から彼の版を出版した際、次のように書き換えてしまったのである。


これは決してドッツァウアーだけのせいではなく、その前の1824年のパリ初版譜において既にその兆候が見えている(二重符尾だが指使いが単弦用になっている)のだが、


それはさておき、これが後の旧バッハ全集(1879年)などに引き継がれ、1997年にヴェルナー・イッキング氏の楽譜が現れるまで、すべての出版譜がこの重弦を無視し続けて来たのである。とりわけひどいのは、あろうことか1988年の新バッハ全集版(ハンス・エプシュタイン編)までが、この重弦を無視していることである。何のための「新」バッハ全集なのだろうか?イッキング氏はアマチュアのヴァイオリニストである。専門家は何をしていたのか?

とりわけこの重弦の出だしに注意してほしいのだが、すべての資料が3つ続きのaの重弦を示している。現在ではウイーン原典版など、 この重弦を書くようになった出版譜も出始めたのだが、この3つ続きの重弦をちゃんと書いているのは、イッキング版と横山版だけである。

信じられないのはヘンレ版で、2000年の初版ではちゃんとこの3つ続きを書いていたのに、2007年の改訂版では3つ続きをやめてしまったのである。無知なチェリストの助言でもあったのだろうか。既存の出版社の没落を示すかのような出来事である(ちなみに、イッキング版も横山版も共にインターネット上で無料配布されている楽譜である)。

指使いの一例を示しておく。


このような連続する重弦はこのプレリュードだけだが、単独のユニゾンはチェロ組曲の他の曲の中にもいくつかある。

 1、第2組曲サラバンドの冒頭、dのユニゾン。
 2、第5組曲ガヴォット2、第8小節最初、gのユニゾン。
 3、第5組曲クーラント、第12小節の最初、gのユニゾン。
 4、第6組曲アルマンド、第8小節最初、aのユニゾン。
 5、第6組曲ジーク、第53小節最初、aのユニゾン(AMBのみ)。

これらのユニゾンはほとんどの奏者が重弦で弾いているだろうに、第1組曲のプレリュードだけを例外とする理由は何なのだろうか?

それでも重弦を疑う人は、無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」をご覧いただきたい。バッハ自身が証明しているから。中間のニ長調の部分、第165小節からa音およびd音で、同音の重弦が力強い表現を行っているが、これをまさか単弦で弾くヴァイオリニストはいないだろう。なぜなら二重符尾で書かれているからである。

 バッハの自筆譜より


それならどうしてチェリストは同じようにしないのだろう?

またバッハがもしD弦とA弦を交互に弾くのを望んでいたのなら、その同じ「シャコンヌ」のあとの方(第229小節以降)で書いているようにしただろう。これはまさしくドッツァウアー以降の書き方とそっくり同じなのである。


これ以上の証明は必要ないだろう。

追記
2016年11月に新バッハ全集の改訂版が出版されたが、そこでも重弦は書かれていなかった。もはやただ呆れるほかはない。ヘンレ版やウイーン原典版よりも後退してしまっている(→新バッハ全集改訂版の「無伴奏チェロ組曲」

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2014年9月9日火曜日

第6番ジークについて


~サスペンションには準備が必要~


サスペンションと言っても、車の話ではない。音楽のサスペンションとは、日本語で掛留音(けいりゅうおん)と呼ばれるものである。

簡単に言うと、2つの和音が続く時に前の和音のうちの1つ(時には2つあるいは3つ)の音が、次の和音に移ってもしばらくそのまま残ってしまうことである。ただししばらくしてから、次の和音の本来の音に移動する。

次の例では * で示したCの音がサスペンションであり、次にBに移動することで本来のGの和音(G-B-D)に落ち着くのである。つまりしばらくの間、サスペンション(宙吊り)の状態になるのである。フランス語ではretard (ルタール/遅延)、つまり次の音に移るのが遅れると表現される。うまい言い方である。


サスペンションの状態にある間、図に7th(7度)と書いたように、他の音(この場合D)と不協和音程を成す。つまり音が濁るのである。今日の我々にはあまり濁っているとは感じられないかもしれないが、DとCだけを弾くとわかるだろう。

逆に、サスペンションの音のある和音、つまり不協和音の方から見ると、そのサスペンションの音には準備が必要なのである。前の和音でその音がすでに鳴らされていなければならないのである。上の例では * で示されたCの音が前の和音でもすでに鳴らされている必要があるのである。以上のことを踏まえて、第6組曲ジーグを見てみよう。


第8小節、これはぼくも長らく見落としていた。旧バッハ全集版(1879年)を見ていて気付いたのである。

4つ目の八分音符はアンナ・マグダレーナ及びC・D資料ではEだが、ケルナーではC#である。これはアンナ・マグダレーナのミス(そしてそれがC・D資料に受け継がれた)と思われる。

 ケルナー(楽譜はアルト記号で書かれている):


 アンナ・マグダレーナ(C・D資料も同じ):

 

と言うのは、9小節目初めのバス音Dと7度音程を成すC#は、2拍目のBへ解決するサスペンション(掛留音)となっており、その前の和音(第8小節後半のAの和音)で準備されていなければならない、つまりすでに鳴らされていなければならないからである。和音に要約するとよく分かるだろう。


長らくEで弾き慣れた人は始めのうちは戸惑うだろうが、しばらくC♯で弾き続けてみてほしい。それからまたEで弾いてみると、今度は第9小節を弾いた時、何でこんなところ唐突にC♯の音が出て来るのか変に思うに違いない。

それにしてもこれまでにC♯を採用した出版譜は、ぼくの知る範囲では旧バッハ全集だけであるが、 なぜか次の第9小節の和音がただの三和音(D-A-F♯)になっている。


ここに至るまでの経緯は興味深いものがある。このD-A-F♯を最初に書いたのはパリ初版譜(1824年)である。ここには指使いも書いてあるので、印刷のミスではないことがわかる。校訂者のノルブランはある意味正しかったのである。第9小節の和音の前に準備の音、つまりC♯がなかったので、第9小節の和音の方が間違っていると考えたのである。

 パリ初版譜(段が分かれているものを合成。ト音記号により1オクターヴ高く表記されている):


これがドッツァウアー(1826年)、グリュッツマッハー(1865年頃)と受け継がれたが、旧バッハ全集はなぜかケルナーとパリ初版譜系をごちゃ混ぜにしてしまったのである。

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2014年9月7日日曜日

このサイトについて


バッハの無伴奏チェロ組曲についての記事を、ブログ「パリの東から」に掲載して来たが、数が多くなり過ぎてしまい、整理の必要性が出て来た。それにせっかく作った横山版、バッハ無伴奏チェロ組曲もあまり利用されていないようなので、もっと広く知ってもらうために単独のブログを作ることにしたのである。

このブログに先立ち、英語のブログ "Bach's Cello Suites, Editor's Notes" を作った。このブログはその姉妹編というわけである。

すべての記事を移すにはまだまだ時間がかかりそうである。それに古い記事では修正したいと思うことも多い。全部移すまでは「パリの東から」もあわせて読んでいただきたい。

こちらのまとめに全記事へのリンクがあります。
バッハ「無伴奏チェロ組曲」まとめ


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